名古屋高等裁判所 昭和55年(う)253号 判決 1983年3月08日
主文
原判決を破棄する。
被告人を無期懲役に処する。
理由
本件各控訴の趣意は、検察官について名古屋地方検察庁岡崎支部検察官検事小林康人作成の控訴趣意書に、被告人について被告人及び弁護人大橋茂美各作成の控訴趣意書にそれぞれ記載されているとおりであり、検察官の控訴趣意に対する答弁は、弁護人大橋茂美作成の答弁書に、被告人及び弁護人の控訴趣意に対する答弁は、検察官津村壽幸作成の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。
被告人及び弁護人の控訴趣意並びに検察官の控訴趣意第一(いずれも事実誤認の論旨)について
弁護人及び被告人の論旨は、要するに被告人は二人の見知らぬ男に頼まれて、既に切断されていた原判示A子の死体の両下肢、両腕、胸部、腰部を預かり、原判示第三の拝戸川川底に埋めて遺棄したことはあるが、原判示第一の強姦未遂、同第二の殺人及び同第三のうち死体損壊の各犯行を犯したことがないのに、これらを被告人が犯したものであると認定した原判決は、原審公判廷における被告人の真実の供述を無視して、信用性のない被告人の捜査段階における供述調書などを採用したために事実を誤認したものであるとし、検察官の論旨は、要するに原判示第一の事実について、被告人の捜査官に対する強姦既遂の自白を補強するに足りる証拠が存在するのに、右自白を補強すべき証拠が足りないとして強姦既遂の公訴事実を認めず強姦未遂の限度で右判示事実を認定した原判決は事実を誤認したものであるとし、いずれも、右の事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れないというのである。
各所論にかんがみ、記録を調査し当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、原判決挙示の関係各証拠によると、原判示第一の事実については、公訴事実のとおり強姦既遂の事実を認定することができるのであるから、これを強姦未遂の限度で認定した原判決は、この点において事実を誤認しているというべきであるが、右誤認の点は別として、被告人が原判示各犯行を犯したものであることは優に認めることができるので、原判決がこれらを被告人の所為と認定したことについては事実誤認は存しない。
以下、主要な論点について右認定に至った理由を示す。
一 被告人の捜査段階における供述の信用性について
被告人及び弁護人の所論は、捜査段階において作成された被告人の本件各犯行についての自白を内容とする各供述調書や各上申書は、死体遺棄以外については被告人がこれらを犯した事実はなかったのに、真実を述べても信用してもらえないと思い、また、もし真実を述べると、真犯人である二人の男が被告人の留守家族に何をするかわからないと思ったので、捜査官に迎合し、被告人が逮捕される前に新聞、テレビや雑誌で知った本事件に関する情報や捜査官が取調べを通じて教えてくれた知識及び被告人の従来の経験、知識や想像を加えて、捜査官に信用してもらえるように、被告人が体験していないことをあたかも体験したかのように述べたものである。そのため、いったん述べた供述も新しい証拠や客観的事実と一致しないので、再三変更されてこれらと一致するように作り変えられており、随所に矛盾や非合理な点があり、一貫性がないのであって、これらの被告人の捜査段階における供述調書及び上申書は信用性がない旨主張するので、検討する。
(一) 原審で取り調べた捜査段階における被告人の供述を録取した書面には、被告人の検察官に対する供述調書(以下検調と略記する。)一一通及び弁解録取書一通、司法警察員に対する供述調書(以下員調と略記する。)一一通、裁判官の勾留質問調書一通があり、被告人が作成した書面には、被告人の上申書七通があり、これらの記載内容を概観すると、被告人が昭和五二年一一月三〇日午前八時ころ、原判示A子を呼び止め、手紙を投函してもらいたいと言って同女を原判示の東海サンド株式会社小原工場(以下小原工場という。)に誘い込んだうえ、逃げようとした同女をつかまえて同工場休憩室に連れ込み、その首を絞めて殺害したことについては、終始一貫して自白していることが認められるが、強姦の点を含め同女を殺害するに至った経過及び死体の処置については、(1)当初は、いたずらしようとしたら同女が大声を出して抵抗したので首を絞めて殺し、その死体は小原工場の裏山に隠し、その後同工場の乾燥釜(乾燥炉)で燃やしたと供述し、(2)次に、同死体を切断解体して、胴と頭のついた胸部を右の釜で燃やし、両手両足を原判示の瀬戸市にある同会社の本社工場(以下本社工場という。)に持ち帰り、同工場のごみ焼却用のドラム缶内で燃やしたと供述を変え、(3)更に、小原工場の裏山に隠しておいた死体を本社工場に運び、同工場の裏山でこれを切断解体し、切り取った陰部は本社工場のドラム缶内で燃やし、頭部だけ残して、その他の解体した死体を本社工場の裏の拝戸川川底に埋め、頭部はその後本社工場のドラム缶内で燃やし、後日降雨増水した後に、さきに埋めた死体の一部を埋めかえたと供述を後え、(4)最後に同女を殺害する前に強姦したと供述し、その供述が変遷していることは所論のとおりである。しかし、司法警察員作成(以下員作成と略記する。)の昭和五三年三月二二日付(以下、日付を五三・三・二二付の例によって略記する。)の引当て捜査報告書及び五三・四・四付検証調書によれば、被告人が最終的に被害者(以下被害者というのは前記A子を指す。)の切断死体を埋めたと指示した場所からその死体が発見され、被告人が死体を解体したと指示した場所から内臓などが発見されたことが認められる。右は、多数の捜査官が消防団の協力を得るなどして三か月半余りも検索したのに発見できなかった被害者の死体を、被告人の最終的を供述によって直ちに発見するに至ったものである。このことをはじめ、後に指摘する各状況証拠と対比して被告人の供述の変遷を考察すると、被告人は当初から被害者を殺害したことは認めていたものの、直ちに率直に事のてん末を供述することなく、自己の刑責を少しでも軽く済まそうとして、加えて被害者の家族の感情に対する配慮もあって、証拠物の発見を免れるように、また犯行の経過を自己に有利になるように供述し、それが虚偽であるために客観的な状況と符合せず、その矛盾について質問を受けると、その状況に符合する範囲内で犯行の経過を真実に近づけて供述することを繰り返し、最後に最も真実に近い供述をしたものであると認めるのが相当であり、被告人の供述の変遷が被告人が犯行を犯していないことの徴表であるとは考えられない。被告人及び弁護人の所論の主張する被告人が捜査官に信用してもらいたいと思ってことさらに本当らしく虚偽の供述をしたなどということは、それ自体首肯し難いが、以下に説示するところに照らして到底認めることができない。
(二) 被告人の捜査段階における本件各犯行の自白及びその前後の状況についての供述を裏付ける状況証拠は多数存在するが、そのうち主なものを列挙する。(ただし、本件強姦の犯行自体の自白を裏付ける証拠については、後記三(一)で更に詳述する。)
1 被告人が捜査官に指示した場所から解体された被害者の死体や内臓が発見されたことは前叙のとおりであるが、そのほかにも被告人が隠したと供述指示した場所から被害者の衣服に付いていた金属ボタンや、櫛がそれぞれ発見されており(詳細は後述)、これらはいずれも被告人の供述によりはじめて捜査官側に所在が判明したものである。更に、被告人の五三・三・二五付員調、員作成の五二・一二・一四付実況見分調書(以下実見と略記する。)によれば、被害者のかばんの中に被告人が砂を入れて水中に沈めたという場所(《証拠省略》)から、砂が入った被害者のかばんが発見されており、また被告人が小原工場からの帰途、自動車の窓から捨てたという場所から被害者の腕時計が発見されているが、これらを隠匿投棄などした旨の供述の真実性並びに右の客観的な事実については、被告人は原審及び当審公判廷においても認めて争わないところである。
2 被告人の五三・三・二一付員調、五三・三・二二付検調によれば、被告人は昭和五二年一一月三〇日(以下単に月日のみを記載したものは、昭和五二年である。)の朝、原動機付自転車で登校途中の被害者を小原工場南側の県道に出て呼び止め、「手紙を出すのを頼みたい」と言い、手紙を取りに行くように装って東側工場二階に上がり、同所から同女に「宛先を書くからこっちに入って待ってくれ」と声をかけたところ、同女が工場敷地内に入って来て、タンクの北側に原動機付自転車を立て、その横に立って待っていた旨の供述をしているが、原審証人池野明己に対する尋問調書中の供述、五四・一・二二付原審検証調書によれば、同人が同日朝八時一〇分前ころから八時ころまでの間に、自動車で小原工場前の県道を通りかかったときに、同工場敷地内でバイクの傍らに人待ち顔の感じで女高生が一人で立っているのを約二四メートル離れた所から目撃したことが認められ、右被告人の供述が裏付けられている。
弁護人の所論は、自動車で通りかかった右池野が、同工場敷地内で被害者が人待ち顔で立っていることまでも認めたという証言は、同所を走行中の車窓から見通しうるのは瞬時にすぎないから、なんの気なしに眺めた情景としては、あまりにも詳細すぎて不自然であり、信用できないと主張するが、朝早く山間にある同工場の敷地内に女高生が一人で立っていることが一種の特異な情景として同人の注意を引いたことは理解できるところであり、同工場南側の県道は西進して来てゆるい左カーブを過ぎたところにあるので、同カーブで速度を落とし進行中の運転者が右のような情景を認めることは所論のように不自然ではなく、右証言は十分信用することができるというべきである。
また弁護人の所論は、被告人の捜査官に対する供述において、被害者を呼び止めた位置や同工場内に呼び入れた経過が二転三転しているのは、右池野の捜査官に対する供述に合わせて作られた虚偽のものだからであると主張する。しかし、この点について被告人の供述に変化のあることは所論のとおりであるが、その供述内容の変化を前後比較検討し、当審証人生田二三夫(取調べ警察官)に対する尋問調書を参酌してみると、当初は被害者を工場内に呼び入れる経過を一部省略して供述していたが、その後捜査官が現場の状況をふまえて詳細に尋ねた結果、その経過を一層正確に供述したものであると考えられ、それほど一貫性を欠くものとは思われず、捜査官が強いて右池野や加藤幸男の供述に合わせて被告人に供述させたものとは認められない。
3 被告人の五三・三・二一付員調、五三・三・二二付検調によれば、被告人は被害者を工場内に誘い込んだ後、被害者をつかまえて東側工場に引きずり込み西側工場の通用出入口近くまで行ったとき、被害者が被告人の手を振り切って西側工場に逃げ込んだので、県道へ逃げられてはえらいことになると思い、これを防ぐため、タンクの横を通って県道側に出て沈殿槽の南に行くと、沈殿槽の真ん中のポンプのあたりに被害者が立っており、被告人の姿を見て、西側工場の方に引き返して逃げたので、これを追いかけた旨の供述をしているが、員作成の現場足跡採取報告書によれば、捜査官によって一二月七日に同工場南側に田の字型に並んでいる四個の沈殿槽のうちの北西の沈殿槽に堆積していた土の上に印象された一二個の足跡(関係証拠により被害者の足跡であると認められるもの)が発見されており、被告人の右供述を客観的に裏付ける状況証拠が存在する。
この点について弁護人の所論は、被害者の足跡が北から南に向って斜めに続いているが、同人が西側工場に引き返した足跡がなく、被告人が逃げた被害者の後を追わずにわざわざ遠回りして県道側に出たという被告人の供述自体も不自然であり、このように供述が不自然となったのは、被告人の供述を沈殿槽の足跡に符合するように作為したためであると主張するが、員作成の五三・三・二四付実見添付の現場見取図及び添付写真を見れば、被害者が西側工場の南側の壁の破れ目から同工場の南方へ逃げれば、前記北西の沈殿槽に入るのが自然(北東の沈殿槽は水がたまっていて歩くのに不適当)であり、被害者は北西の沈殿槽内を走ったうえコンクリート枠に上がったと考えられ、その後被告人に見つかるまでの動静は不明であるが、四個の沈殿槽の中心にあるコンクリート枠の上のポンプ付近に立って逃走方向を考えているうちに、南側の県道側に現われた被告人の姿を見て、コンクリート枠の上を通って引き返し西側工場内に逃げたものと推認されるので、西側工場に引き返す被害者の足跡が沈殿槽にないことは不自然でなく、また被告人が県道側に出て被害者を追うことは、被害者を県道上に出さないために合理的で効果的な追いかたであったと考えられるから、被告人の捜査官に対する前記供述に不自然な点があるとは思われず、右供述が足跡と符合するのは、作為したことによるのではなく、真実だからであると考えられる。
4 被告人の五三・三・三〇付員調、五三・三・三一付検調によれば、被告人が被害者を同工場休憩室に抱え込み突き倒すようにして離したところ、被害者はうつ伏せに倒れ、スカートがめくれたので、強姦を決意し、パンツを持って引き下げたら陰部に白い物をはさんでいるのが見え、被害者はメンスだなと思った旨、また五三・四・二付員調によれば、被害者を殺害後同女のメンスの綿のようなもので局部をふき取ってやったが、このとき綿に醤油を少しこぼしたような色がついた旨の供述をしており、B子の五三・四・一付員調、五三・四・四付検調によれば、(捜査官が被告人の右供述により被害者が当時生理中であったことを初めて知り、その裏付け捜査をした結果、)被害者の同級生であった右B子の供述及び同女の一一月二八日の日記の記載から被害者が同日生理中であったことが裏付けられたことが認められ、被害者は一一月三〇日朝もなお生理用のナプキンを使用していたものと考えられる。この点について被告人は、当審第九回公判においては、捜査官に対して被告人が犯行を犯したように思わせるために、思いつきで被害者が生理中であったと言ったことが偶然客観的な事実と合致したにすぎない旨の供述をしているが、捜査官は、最初は被告人の被害者が生理中であったとの供述は嘘ではないかと疑ったのに、被告人は右供述を変えなかったものであり、かつ、右被告人の供述内容は具体的で迫真性があることからみても、右は被告人の思いつきの供述が偶然客観的事実に符合したものとは到底認められず、被告人の経験した事実を率直に述べたものと認めるのが相当である。
5 被告人の五三・三・二四付及び五三・三・三〇付各員調によれば、被告人は被害者を殺害後、その死体を隠すために死体を抱いて同工場の裏山に登るときに、二回位足がすべって、死体を抱いたまま自分の手の肘が地面についたのを覚えており、その際にどこかに怪我をしたかも知れない、あるいは肘に怪我をしたはずである旨供述しているが、近藤廣光の五三・一・二八付員調、五三・三・一八付検調によれば、一一月三〇日午後五時ころ、同人が小原工場で被告人と一緒に風呂場に入り、被告人が体を流した際に、被告人の左肘付近に新しい擦り傷があったのを目撃していることが認められ、被告人の右供述を裏付けるものと認めるのが相当である。
6 被告人の五三・三・一四付、五三・三・一五付、五三・三・二四付、五三・三・二五付各員調、五三・三・二三付、五三・三・二七付各検調によれば、被告人は、一一月三〇日小原工場の裏山の大石の横にあった窪みに被害者の死体を入れて落葉をかき集めて死体の上にかけ、何か落ちていないかと思ってみるとが櫛落ちていたので、それを拾い死体を隠した落葉をかき分けてその中へ入れ、一二月五日夕刻帰りがけに、その窪みから被害者の死体を取り出して自動車に運び込んだが、その死体を運ぶときにあわてていたため死体の傍らに入れておいた櫛を忘れてきた旨供述しているが、員作成の五三・三・二七付実見(写真、現場見取図)によれば、被告人の供述した場所から被害者のケース入り櫛が発見されており、右櫛は被告人の供述に基づいて捜索して初めて発見されたものであり、被告人が右窪みに死体を隠していたという供述を客観的に裏付ける証拠として高い価値を有するものといえる。
被告人及び弁護人の所論は、右窪みはあまりにも狭くて浅いもので死体を隠せるような場所ではなく、犯行日を含めて六日間もそこに死体を隠しておけるはずがなく、右櫛は、二人の男から死体とともに預かった被害者の衣類を本社工場から持ってきて右窪みに隠しておき、後日右衣服を取り出した際に取り出すのを忘れて残ったものであり、その窪みに死体を埋めておいたことはない旨主張するが、右実見によれば、右窪みは上部では長さ約一七〇センチメートル、幅約九〇センチメートル、底部では長さ約一二〇センチメートル、幅約五六センチメートルで、深さが約四八センチメートルあることが認められ、被告人の前記捜査官に対する供述によると、被害者の膝から下の部分を大腿部に沿うように折り曲げて入れたというのであるから、右窪みは被害者を入れるに十分な大きさがあり、死体の上に落葉をかけて隠すことは可能であったと考えられる。この裏山の捜索が本格的に始められたのは、被告人の五三・三・二六付員調、当審証人生田二三夫の公判廷における供述によれば、被告人が死体を運び出した後であると認められるから、この窪みに一二月五日まで死体を隠しておいて発覚しなかったことは不自然でも不合理でもないというべきであり、被告人の捜査官に対する前記供述は措信することができる。これに対し、所論に沿う被告人の原審及び当審公判廷における各供述は措信し難い。すなわち、もし被告人が本社工場で二人の男から被害者の衣類を受け取ったとするならば、もともと被害者の衣類の容積はさして大きなものとは思われないので、本社工場やその裏山など手近なところに容易に隠しておけるものであり、特に被告人は毎日のように誰も来ていない早朝に出勤していたので、ごみ焼却用のドラム缶内でこれらを容易に焼却できる状況にあったから、わざわざ発覚のおそれがある小原工場に持って行って隠す必要はなかったはずであり、公判廷において被告人の供述するような被害者の衣類の処理方法はあまりにも迂遠で不自然なものであって、信用することができない。
なお、《証拠省略》によれば、右の窪み付近から採取された毛髪のようなもののうち人頭毛と認められた二五本のうちの一一本(櫛から採取した一本を含む。)は、血液型が被害者と同一のA型であり、かつその特徴が被害者の頭毛と一致又は類似することが認められる。
7 被告人の五三・三・二四付、五三・三・二五付各員調、五三・三・一四付検調によれば、被告人は一一月三〇日被害者を扼殺後、被害者の原動機付自転車を粘土工場(東側工場)に入れて、急いでその上にシートをかけ、死体を裏山に隠し終わって工場に戻ると、同僚工員の近藤廣光、鵜飼勝己が来ており、鵜飼が東側工場で万力を使った後、同人らが西側工場で仕事をしている間に、被告人は右原動機付自転車を東側工場から引っぱり出して寺平川沿いの山道に入って行き、同車を同川の中に捨てた旨供述しているが、原審証人鵜飼勝己は、同人は一一月三〇日の午前一〇時一〇分か二〇分ころに、右東側工場の土の上にもたせかけ、その上にシートをかぶせてあったオートバイのような形のものがあるのを見て、シートを少しめくるとタイヤが見えたが、昼休みが終わったときに再び見たときはオートバイもシートもなかった旨供述しており、右被告人の供述を裏付けている。
この点について弁護人の所論は、右鵜飼の供述はあいまい不正確なものであって、捜査官が威迫や誘導をして故意に被告人に不利な供述を求めた疑いがあり、鵜飼は元来記憶力も悪く知能も高い方でないので、再三尋問の対象とされ真実がわからなくなっていると思われ、その供述は信用できないと主張するが、原審における同証人に対する尋問方法をみても、ことさら被告人の不利に導くために威迫や誘導を加えてその証言を曲げさせたとは認められず、当審証人近藤廣光の供述によれば、鵜飼はやや難聴ではあるが、知能的に劣ることはなく、かえって物事をよく気をつけて見て、これをよく記憶している性格であることが認められる。なるほど、鵜飼は原審第一七回公判において再度証人として尋問された際には、東側工場で見たものは一輪車であったかも知れないと供述し、前よりも供述をあいまいにしているが、同証人が原審における五三・一〇・二三付の証人尋問調書中では、見たものが一輪車だとは思わなかったと明言していることにも徴し、鵜飼のオートバイのようなものを見たという前記証言は措信することができ、被告人の前記供述と考え併せると、同証人の見たものは被害者の原動機付自転車であったと認められる。
8 被告人の五三・三・二五付員調、五三・三・二三付検調によれば、被告人は乾燥釜の火入れ式をした一二月五日の夕方小原工場の裏で近藤廣光とともに紙袋を三〇〇位同人の日ごろ運転しているマイクロバス(トヨタ、ライトエース、ワゴン、後部座席を取り外したもの。正確な名称ではないがマイクロバスと呼ばれていたと認められる。)に積み込んだが、積み終わって近藤が手を洗いに行ったとき、同人が手などを洗うのは一〇分か一五分かかるのを知っていたので、今がチャンスだと思って、被害者の死体を運び出すことを決め、裏山を走って大石の所まで行き、枯葉をかきのけて死体を出し、これを抱いて沢を下り、車の所へ行き、紙袋をはねのけて死体を頭の方から車の中に入れ、ドアをしめた、そして近藤の運転で瀬戸の本社に向かい、午後七時ごろ到着し、近藤に気付かれないように死体を出し、抱き上げて物置に入り、近藤が二階の事務所に行くのを待って、死体を黒鉛の紙袋置場に隠した旨供述しているが、近藤廣光の五三・三・二八付員調、五三・三・二四付検調によれば、同人は小原工場の改造した釜の火入れ式をした一二月五日に紙袋をライトエースに積み本社へ運び、本社工場に着いてから一人だけ二階の事務所へ行ったように覚えている旨、その日の五時過ぎころ仕事をやめ、風呂場の裏の水道で手足を洗ったが、同人はいつも一五分から二〇分かけて手足を洗う、手足を洗ってからマイクロバスに被告人を乗せて午後五時半ころ小原工場を出て本社工場へ帰った旨供述しており、近藤廣光は当審公判廷でも証人として、日は覚えていないが、火入れ式のころ紙袋を三〇〇位マイクロバスに積んで瀬戸工場へ運んだことがある、その日手を洗った覚えはあるが、二〇分から三〇分かかるのが習慣である旨供述しており、近藤の右供述は被告人の前記供述を裏付けるものと認められる。弁護人の所論は、近藤に気付かれずに被告人の供述する方法で死体を運搬し隠したということはありえないことであるという。確かに、被告人が右のようにして死体の運搬隠匿に成功したのには幸運に恵まれた点が多いと考えられるが、それが架空の事実であるとは認められない。なお、近藤廣光の五三・三・一八付検調によると、被告人は逮捕される三、四日前近藤に対し「おれが力があることを言わんでくれ」と言ったことが認められるが、右は被告人が本件強姦、殺人を犯したり、死体を抱いて山道を運んだりする力をもっていることを隠蔽しようとした発言と受け取られる。
9 被告人の五三・三・二六付、五三・三・二七付各員調、五三・三・二三付、五三・三・二七付各検調によれば、被告人は、一二月五日本社工場に運び込んだ被害者の死体を翌六日早朝本社工場の裏山に運び、同工場備えつけのスコップと包丁、のこぎりがまを持参してスコップで穴を掘り、死体を穴の中に置き、度胸をつけるために包丁でワイシャツのような白いシャツの上から二回位切り、それから、包丁とのこぎりがまを使って死体を両足(膝の上)、両手、胴(腹の辺り)、首の順に切断し、最後に陰部を切り取ったが、背骨を切るときは、以前にマグロを解体したときの経験から背骨のへこんだところより少し高くなっているつなぎ目のところがよく切れることを知っていたので、そこを切断し、腹わたは、その穴の中に入れたまま土をかぶせ、切断した死体をビニール袋に分けて入れ、のこぎりがまは頭や陰部と一緒の袋に入れたが、包丁はどのように処分したか覚えがないので、その辺の笹の中か穴の中に隠したかも知れない、現場に残っていると思う、衣類は本社工場のドラム缶のストーブで燃やし、衣類についていた金属ボタンは燃え残ったので本社工場のサボテンの鉢の下に埋めて隠し、切断した頭、陰部以外は一二月八日に本社工場の裏の川の中に埋め、一二月中ごろ降雨増水した後に、両手、両下肢の入っていた袋を上流に埋めなおした旨供述しているが、員作成の五三・三・二二付引当て捜査報告書、五三・四・四付検証調書によれば、本社工場の裏山の被告人の指示した場所を掘り返すと、被害者の血液型と一致する内臓塊や被害者の着用していた女高生用の棒タイのひもやその所属高校の校章などの金具が発見され、更にその穴の北側の雑草が生い茂るところに包丁(牛刀)一本が発見され、近藤廣光の五三・三・二八付員調によれば、同包丁は本社工場に備えつけてあったものであることが確認されており、矢田昭一作成の鑑定書によれば、被害者の胸部に、被告人が度胸をつけるために包丁で切りつけたという傷跡に符合する創縁、創壁正鋭の開創が三個あり、被害者の背骨の切断部分は第三、第四腰椎間の椎間板を切断しており、背骨のつなぎ目を切断したという自白に符合し、創縁の諸所にジグザグ状の切れこみが認められるので死体の切断にのこぎりがまをも使った旨の自白と符合し、前記五三・四・四付検証調書及び右矢田鑑定書によれば、被害者の切断した上肢二本、下肢二本、胸、上腿のついた腰部が被告人の指示した場所からそれぞれ発見され、同死体からは外陰部が切り取られていたことがそれぞれ認められ、被告人の右供述を客観的に裏付ける証拠が存在している。
(三) 以上のように被告人の捜査官に対する供述は、各事項ごとに最終的にしたものについては、多数の状況証拠(客観的な証拠又は措信しうる供述)と符合することが認められるとともに、その供述内容には犯行の実行者であって初めて供述しうると認められるものがあることなどを併せ考えると、次の(四)に述べる点を除いては、真実に近いものとして信用することができるのであり、もとより架空の事実を述べたものとは認められない。
(四) 被告人の五三・三・二六付員調、五三・三・二七付検調によれば、被告人は一二月六日の朝本社工場の裏山で被害者の死体を切断後、午前一〇時ころ局部だけテストに燃してみようと決め、死体を隠した紙袋置場に行き頭が入っているビニール袋の中から局部を出し、これをボロ布に包み、ドラム缶のストーブに入れ、ビニール袋の切れ端や紙袋などをいっぱい入れたらよく燃え、一時間位で燃えてしまった、一二月一〇日午前八時ころドラム缶のストーブに火をつけ、紙袋置場から頭の入ったビニール袋を持って来てストーブの中に入れ、ビニール袋の切れ端や不燃物のかたまりをつめ込み、じょうろで灯油をかけて燃やし、臭いの出る口実を作るため別に地面でたき火をした、一二時ころストーブから灰をかき出し、一輪車に乗せて裏の水門の所にサーッと捨てた旨供述している。
右供述のうち、被害者の陰部を焼却した点は、裏付けはないものの概ね措信することができる。しかし、頭部を焼却したとの点についてみると、人の頭部を被告人の述べた方法で右ドラム缶ストーブで焼却することは客観的に不可能とは思われないものの、近隣に人家の多数ある本社工場のドラム缶で頭部を燃やせば、著しい悪臭が出ると思われることなどからみて、近隣の人に気付かれずに焼却することは困難であると認められること、また、当審で取り調べた員作成の五五・九・三〇付捜査報告書及び同日付愛知県警察本部技術吏員作成の人骨検査の経過及び結果についてと題する書面によると、被告人が被害者の頭部を焼却して出た灰を捨てたと捜査官に供述した場所から採取した土砂からは人骨が確認されていないことに徴すると、被告人の右頭部の処置についての捜査官に対する供述は、その信用性に疑いがある。しかし、被告人の捜査官に対する供述のうち右の点が措信できないからといって、その他の供述までもが虚偽であるとは考えられない。このことは、被告人の捜査官に対する供述の経過をみても、被告人の不利益に帰する事柄はできるだけ隠しながら、次第に真実を明らかにしてきたこと、特に確実な証拠となる死体の処置、隠匿場所については供述を変転させていることから、了解できるところである。
二 被告人の公判廷における供述の信用性について
被告人が原審及び当審の公判廷において真実であるとして供述しているところは、要するに被告人は、一一月三〇日の朝、腐葉土を探しに小原工場の裏山に登り、同工場に戻ったとき、二人の見知らぬ若い男が被害者の死体を抱いて乾燥工場から出て来るのと出合い、同人らが「この子が逃げ出してコンクリートの所で転んで死んだ」と言うので、とりあえず死体を同工場の休憩室に運ばせたが、その二人の男は助けて下さいと頭を下げるので、そのうちの一人の男に指示して、被害者の乗って来たという原動機付自転車を寺平川沿いの屑捨場に捨てるように言って同工場から持ち出させる一方、死体を同工場にあったシートに包み、原動機付自転車を捨てに行った男が帰って来てから、その死体を二人の男の乗って来た自動車のトランクに積み込むのを手伝い、同人らに「死体を隠す場所がなかったなら一二月二日午後六時ころまでに瀬戸の本社工場の駐車場に来い」と言って、本社工場の場所を教えて帰らせ、その後に被害者の靴、手袋、マスクが残っていたので、それらを裏山に隠しに行って帰ると、同僚従業員の近藤廣光、鵜飼勝己が同工場に来ていた。翌々日の一二月二日夕方本社工場にいると、前記の二人の男が駐車場に来て、運んで来た被害者の遺体を切断したものを入れた数個の袋を隠してくれと言うので、頭部の入った袋のみを同人らに始末せよと言って持ち帰らせ、その余のものを預かり、切断死体は一時本社工場の裏山に穴を掘って隠し、後日それを拝戸川川底に埋めたというのである。
被告人の右供述の真偽について考えるに、まず、右供述によると被害者の原動機付自転車が既に小原工場内にはないはずの時間帯にその原動機付自転車と認められるものが同工場東側工場内で鵜飼勝己によって目撃されていることは前叙一(二)7のとおりであり、この点からだけでも、被告人の右供述は既に破たんしているというべきであるが、その他にも、同供述には前叙同6のとおり小原工場の裏山から被害者の櫛が発見されていること、同9のとおり本社工場の裏山から内臓などが発見されていることなど客観的に確定できる事実と矛盾するものがある。のみならず、本件のような重大な犯罪について被告人が嫌疑を受けているのに、見知らぬ男たちを助けるために、その身代りになって架空の犯行を自白するなどということは、通常考えられないところであり、もとよりそのことを納得させるような特別な事情は認められない。被告人の原審及び当審公判廷において真実であるという供述自体も、原審第二回公判では、真犯人である二人の男から助けて下さいといわれ男気を出して助けてやる気になった、男気を出して引き受けたので最後まで助けてやりたかった、刑事さんには本当のことを話さなかった、二人の男から解体された死体を受け取ったときに、頭部は浜名湖の東名高速橋の上か、びわ湖大橋上から捨てよと指示した旨陳述をし、原審第九回公判では、真犯人の二人の男を捕まえることができればいいと思い、同僚の来るのを待つために、二人の男を直ぐ帰らせないように時間かせぎをしたが間に合わなかった旨供述し、原審第一四回公判においては、陳述書中で、二人の男が自棄を起こし、家族に何かされると思い警察では本当のことを話せなかった、被害者の首を浜名湖などに捨てると言ったのは二人の男の方で、私がそれを指示したのではない旨の陳述をして、その内容を変えていることをはじめ、前後矛盾する点があり、また、経験則上納得し難い事項を多く含むものであって、できるだけ状況に合わせた作り話と見るほかはない。右供述を含め、被告人の原審及び当審公判廷における供述中、本件各犯行を否定する趣旨の部分は信用することができない。
三 本件各犯罪事実の認定について
以上の説示をふまえて、被告人及び弁護人の所論にかんがみ、被告人が本件各犯罪を犯したことを認めることができるかどうか、また検察官の所論にかんがみ、原判示第一の事実について強姦既遂の事実を認めることができるかどうかについて考察する。
(一) 原判示第一の事実について
原判決は、強姦の公訴事実のうち、その既遂の点については、被告人の捜査段階における自白を補強すべき証拠が足りないとして、強姦未遂の事実を認定している。右説示が刑訴法三一九条二項の要求するいわゆる補強証拠に欠けるという趣旨であるのか、それとも既遂の心証を得るに十分な証拠がないという趣旨であるのかは明らかでないが、その両面を考慮に入れつつ、強姦罪に関する証拠を考察する。
1 被告人の捜査段階における最終的な供述が大部分信用できることは前叙のとおりであるが、これを強姦の自白についてみると、被告人は当初は姦淫の意思で被害者を引っぱり込んだものの、大声を出され抵抗されたので殺害してしまい、強姦しなかった旨供述していたが、捜査の最終段階の供述である五三・四・一付、五三・四・二付各検調、五三・四・二付員調において強姦の既遂を自白するに至ったものであることが認められる。右自白に至った経過について被告人は、右各検調、員調において、被害者を殺したうえ、これを解体しただけでも、被害者の遺族の悲しみが大きいのに、それ以上強姦までしたと自白すれば、被害者の遺族の怒りや悲しみが一層大きくなると思い否認して来たが、真実を話すことが一番の罪ほろぼしになることを悟り自白する気になったと述べており、このことと当審証人生田二三夫、同土岐昭吾、同浅賀定雄の公判廷における各供述を総合すると、被告人の右自白は、捜査官の証拠に基づく取調べと説得により、もはや隠しておけないと考えるに至り、同時に悔悟の情を生じてなしたものと思われるので、その動機からみても右自白は信用性が高いというべきであり、その内容も被告人の犯行を具体的に詳細に供述しており、特に被告人の五三・四・二付検調、員調の供述は真実を率直に述べたものと認めることができる。前記各検調、員調は、原判決も証拠として掲げているところである。
右自白の概要は次のとおりである。「私は小原工場の道ばたでたき火をしているとき、オートバイで下って行く被害者を前に二回見ている。一一月三〇日の朝シャフトが折れてイライラしていたが、車の音を聞いてあの女高生が来るなと思ったとき、呼び止めて引っぱり込んで強姦しようと決めた。そして既に述べたとおり被害者を呼び止め、つかまえて、後から抱き上げて休憩室に入れ、土間から畳の上に突き飛ばした。同女はうつ伏せに倒れたので、そのパンツを一気にひざの辺まで引き下げた。同女は逃げ出して、鬼とか何とかすごい叫び声を出した。私も畳の上に上がって、引き戸を開けようとした同女のえり首のあたりをつかまえて後ろへ引き倒した。私はすぐ同女の体の上に乗ったが、両手をバタバタさせ大きな叫び声を出し続けたので、その両手首の辺をつかまえて持ち上げてから、頭をドーンと畳にたたきつけると、少し静かになった。私は片手で同女の両手をつかまえて押えつけながら、私のものを同女の局部に入れようとしたが、うまくいかなかったので、同女の両足を上の方にあげて私のものを完全に局部に入れ強姦した。同女は痛そうな声を出し、そのうち『警察に言う、警察に言う』と言った。私は射精して、すぐに立ち上り、ひざの辺まで下っていたパンツとジーパンをはいた。」
2 被告人の右強姦既遂の自白を裏付ける状況証拠のうち強姦行為を直接推認させるようなものを挙げると、
(イ) 被告人の五三・四・二付検調及び員調によれば、被告人は自己の精液が残っているとまずいと思い、関係したことがわからないようにするために、被害者の陰部を切り取った旨供述しており、発見された被害者の死体から外陰部が切り取られていたことは前叙一(二)9のとおりであって、これによって右供述は裏付けられている。そして、陰部が存在すれば姦淫した事実の物的証拠となることは当然考えられるところであるから、被告人の右陰部切り取りの動機は合理的であって措信することができ、被告人が陰部を切り取って他の部分とは別に処理し、それが発見されていないことは、強姦が既遂であったことの有力な状況(間接事実)であるとみるのが相当である。
(ロ) 被告人は強姦の意思で被害者のパンツを引き下げた際に陰部に使用していた生理用のナプキンを目撃した旨供述し、捜査した結果被害者が当時生理中であったことが客観的に裏付けられたことは前叙一(二)4のとおりであって、右事実は強姦の自白の信用性を保証するものである。なお、原判決が右事実を認めたのかどうかは明らかでない。
(ハ) 被告人の五三・四・二付員調によれば、被告人は、強姦時に着ていたパンツは精液がついていると思って強姦した日に被害者の靴と一緒に燃やした旨供述しているが、近藤廣光の五三・三・二八付員調によれば、同人らは、一一月三〇日被告人が裏山から戻った後で、休憩室前でたき火をし、その際、中に入っているものまでは見ていないが、被告人が紙袋を持って来て燃やしたのを目撃したことが認められ、一応被告人の右供述が裏付けられており、被告人がわざわざパンツを燃やしたことは、強姦の証跡を隠滅するための行為として、強姦既遂の事実を推認させる重要な間接事実であると認められる。
(ニ) 原審証人若松孝司(本件捜査担当警察官)の供述によれば、同人が一二月六日に被告人に面接した際に、被告人の左側肩甲骨付近に数日前に人の爪によって出来たと推認される平行した二本の引っかき傷があるのを目撃したことが認められ、右は被害者が抵抗した際に出来たものである蓋然性が大きい。
(ホ) 矢田昭一(名古屋大学医学部法医学教室教授)作成の鑑定書によると、被害者の残存部の膣に特に粗大な損傷は確認されず、膣内容にSM試薬を滴下し精液の化学的検出を試みたところ陰性であったが、本屍は死後変化が高度に進行しているので、精液がもともと存在しなかったとはいえず、外陰部が欠損しているので姦淫の有無は不詳であるとされている。(なお、《証拠省略》によれば、被告人は昭和四七年ころ不妊手術を受けているので、その精液中には精子が存在しないことが認められる。)
しかし、右鑑定書のほか当審証人矢田昭一の供述及び同人作成の回答書によれば、被害者の左肘、左膝蓋部、左下腿、左脛骨稜中央及びその下方に皮下出血などの軽微な損傷が存し、これらの損傷は被告人の供述するような状況下で生起された可能性のあることが認められる。
3 本件強姦の犯行については、もとより目撃者はなく、被害者は死亡し、その陰部は切り取られているのであるから、強姦行為を直接に裏付ける証拠が少ないのは当然であるが、右に示した状況証拠があるほか、既に一(二)で述べた被告人が被害者を呼び止め、追いかけ、その死体を運搬、切断、隠匿し、その所持品を隠匿、焼却などしたことに関する証拠は、すべて強姦の犯行についても状況証拠となるというべきである。措信しうる被告人の前記捜査官に対する自白とこれらの状況証拠とを総合考察すると、被告人が起訴にかかる強姦既遂の犯行を犯したことは十分に証明されている。右自白を信用しながら強姦未遂の事実のみを認定することは、甚だ不自然であるといわなければならない。
また、刑訴法三一九条二項により自白以外に存在することが要求される自白を補強すべき証拠は、必ずしも自白にかかる犯罪構成事実の全部にわたりもれなくこれを裏付けするものであることは必要でなく、自白にかかる事実の真実性を保障することができるものであれば足りるのであって、本件強姦既遂の自白についてこのような補強証拠が存在することは、右に述べたところから明らかである。
そうしてみると、原判決が原判決第一において、強姦既遂の事実を認めず、同未遂の事実を認定したのは、事実を誤認したものというほかはない。
(二) 原判示第二の事実について
1 被告人が被害者を殺害したことは、被告人が捜査官に終始自白していたところである。その最終的な自白の概要は、次のとおりである。
犯行の動機について、「私は、女の子は一回姦淫してしまえば、たとえ無理に関係しても警察には言わないだろうと思っていたところ、強姦を終わった後、被害者がよろよろしながら起き上がろうとして、『警察に言ってやる、こんな悪い人は絶対に言ってやる』『私はどうなってもいいから警察に言う』と言ったので、私が『言いたかったら言え』と言いながら、立ち上った同女をポンと押したら、同女は横仰向けに倒れ、気が狂ったように『警察に言う』と言い続けた。私は、警察に言われれば捕まって刑務所に行かなければならんので、警察に捕まらないようにするためには同女を殺さなければならんと考えた」(五三・四・二付検調)。
(なお、原判決は第二の事実において、被害者が「警察に言ってやる。こんな悪い人は絶対に言ってやる」などと騒いだ旨認定しているが、右文言は右強姦既遂を自白した検調の記載を採用したものと考えられる。)
犯行の態様について、「被害者をポンと押すと、ドターンと倒れたので、その体にまたがるようにして乗って、両手で力一ぱい首を絞めつけ、完全に死んだと思うまで絞め続けた。それから、生き返ってはまずいと思って、部屋の左側の辺にあった白いビニールのひもを被害者の首に二回位巻いて、のどのあたりでぎゅっときつく結んで絞めつけた。このとき被害者は全然動かなかったが、もし生き返って動き出してはいかんと思って、被害者の両手を組ませて、手首のあたりを右のひもの両端で巻いた。それから下着などを元どおりに直してやった」(五三・四・二付員調)。
右自白は、以下述べるように供述自体からみても信用できるものと認められるのであって、前記一(二)で説示したような多くの状況証拠と併せて総合考察すれば、原判示第二の殺人の事実は証明十分である。
2 被告人及び弁護人の所論は、被告人の捜査官に対する自白は、被告人が殺人犯人であることを信じさせるために嘘を言ったものであるという。しかし、前記被告人の五三・四・二付員調に録取された殺人の自白内容をみると、被告人は倒れた被害者の体の上にまたがるようにして乗って、被害者を仰向けにして両手で力一ぱい首を絞めたところ、被害者は最初のころは手や足をばたばたさせてすごい力で暴れ、一瞬はねのけられそうになったが、必死で力一ぱい首を絞め続け、もう完全に死んだとわかってから手を離したが、私の指が固くなっていて、首から手を離すときに顔が一緒に持ち上ってきてドスンと落ちた、被害者は紫色の顔になっていて、口から泡のようなものを出していて、舌も少し出していた旨の供述をしているが、右扼頸の供述は具体的であり、特に被告人の指が固くなっていて被害者の首から手が離れなかったという供述は、犯人でなければ言えないことであると思われる。更に、矢田昭一の五三・四・一二付員調によれば、人が扼殺される際には、気管が圧迫されて呼吸が困難になり、酸素が欠乏するのでチアノーゼが出現し、同時に、椎骨動脈からは血液が上がる一方頸静脈が圧迫され血液が下がらないので、顔面がうっ血して顔面は紫色になり、また肺水腫症状が出現するので口から水泡状の液を出すのが常であり、頸部を圧迫されると必然的に舌を出すものであり、扼殺における死因は窒息死であり、一般には三分ないし五分で死亡することが認められるが、被告人の述べた扼頸時における被害者の状況は右現象に合致する。しかも、被告人は更に進んで、前記のとおり被害者が死んだと思った後にも生き返ってはいけないと思い、ビニールひもを被害者の首に二回巻きつけて結んで絞めつけるなどした旨の供述をしているが、この点も、実際犯行を犯していない者の供述とは考え難いところである。以上の点からみても、被告人の右自白は自ら犯した殺害の経過を率直に供述した信用性の高いものであると認められる。
3 被告人、弁護人の所論はまた、被告人が休憩室内で被害者を強姦し殺害したのであれば、被害者ともみ合った痕跡や、被害者の毛髪や血痕が休憩室やその付近で発見できたはずであるのに、これらが発見されていないのは、被告人が同所で強姦、殺害をした事実がない証左であるというが、被告人の五三・三・二五付員調によれば、被告人は一一月三〇日近藤廣光らが仕事をしている間に、その辺を片付けるふりをして、休憩室に被害者の頭の毛とか、そういう証拠みたいなものが落ちていたらまずいと思い、部屋をほうきで掃き、タオルに水をしみ込ませて、薄べりの上をきれいにふくなどして証拠を残さない処置をしているというのであり、その他被告人の員調、検調を通観すると、被告人は犯罪の証拠を残さないように細心の注意を払い処置していることが随所にうかがわれるので、休憩室に痕跡が残っていなかったとしても、これをもって被告人の犯行を否定する状況とはなしえない。(なお、員作成の五三・三・二四付検証調書によれば、右休憩室に敷いてあった化粧ござの表面三か所からルミノール反応が認められており、確認はできないが、被害者の生理血などが付着したのではないかとも考えられる。)
(三) 原判示第三の事実について
被害者の死体を損壊したことについては、被告人は捜査官に対し捜査の早期から供述しているところであり、その最終的に述べた死体損壊及び遺棄のてん末についての自白は、前記一(二)の6、8、9に説示したように多くの状況証拠によって裏付けられており、原判示第三の事実認定に沿う限りにおいて十分信用できるものであるから、右第三の死体損壊、遺棄の事実は証明十分である。
被告人の所論は、被告人がもし本社工場の裏山で被害者の死体を損壊したのであれば、同所から血痕反応や被害者の毛髪が出てもよいはずであるのに、これが出ていないのは被告人が死体を損壊していない証左であると主張するが、被告人の五三・三・二六付員調、五三・三・二三付及び五三・三・二七付各検調によれば、被告人は被害者の死体を毛布みたいなものに包んだまま解体現場に持って来て、掘った穴の中に死体を包んだまま入れ、死体の包みを広げて死体を切断し(切断作業は毛布のようなものの上でなされたと推測される。)、切断した死体は直ちにビニール袋に詰めたが、右死体を切ったとき血は出なかったことが認められる。また、矢田昭一の五三・四・二六付検調によれば、人が死亡すると、その直後に大血管は空虚になり、死体の下部になる末梢血管に血液が分布し、その血液も二、三日で血管外に滲出し、組織に浸潤し、死後一週間後の死体は、解体してもその際流出する血液はほとんどないというのであるから、死後六日目にした本件死体の解体現場に目立つような血液痕がなかったとしても、不自然ではないというべきであるが、前叙一(二)9のとおり右裏山の被告人の指示した場所(解体現場)から埋めてあった内臓が発見されており、員作成の五三・三・二七付鑑定嘱託書及び植村啓介作成の五三・四・七付鑑定書によれば、右内臓が埋めてあった場所から採取した約四六キログラムの土のうち、腐敗臭を有する約六・一キログラムの土に血痕検査の陽性反応があり、その一部を取り人血検査をしたところ陽性反応が出ていることが認められ、毛髪については、被告人が毛布のようなものの上で死体を解体したと思われるうえ、被告人は多くの場合毛髪を残さないことを始め証拠を残さないように細心の注意を払い処置していたことがうかがわれ、本件の場合は格別急がなければならない状況にあったとは思われないので、被告人は現場に毛髪を残さないように注意して処置したことが推測されるから、捜査官が同所から被害者の手髪を採取していないことをもって、前記認定を覆す資料とはなしえないというべきである。
(四) 被告人及び弁護人は、その他被告人が原判示第一、第二及び第三のうちの死体損壊の犯行をしていないとして種々の主張をしているが、いずれも証拠に徴し、採用できない。
以上の次第であって、原判決に被告人及び弁護人の所論の主張する事実誤認はなく、その論旨はいずれも理由がないが、原判決が原判示第一の事実について強姦未遂の事実を認定したのは事実を誤認したものであり、右誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、検察官の論旨は理由がある。そして、原判決は原判示第一の事実と同第二、第三の各事実とを併合罪として処断し、一個の刑を科しているから、原判決はその全部を破棄しなければならない。
そこで、検察官の控訴趣意第二(量刑不当の論旨)についての判断を省略して、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所において更に判決する。なお、被告人の本件控訴は右のとおり理由がないが、検察官の本件控訴を理由があるとして原判決を全部破棄する場合であるから、主文において控訴棄却の言渡しをしない。
当裁判所は、判示第一の事実を除いては原判決の事実認定を維持するが、あらためて全部の事実及び証拠を示すこととする。
(被告人の経歴及び本件犯行に至る経緯)
被告人の経歴及び本件犯行に至る経緯は、原判決の摘示と同一であるから、これを引用する。
(罪となるべき事実)
被告人は、
第一 昭和五二年一一月三〇日、愛知県西加茂郡小原村大字北篠平六九四番地の一〇所在の東海サンド株式会社小原工場で、午前六時過ぎから一人で作業を始め、かたわら同工場敷地内の県道のそばでたき火をするなどしていたが、間もなく運転中の機械が故障したため、機械の運転を停止して工場内が静かになったところ、同日午前八時少し前ごろ、県道を通って来る原動機付自転車のエンジンの音が聞こえたので、かねて関心を抱いていた高校生(A子)が工場前にしかかるのではないかと思い、工場出入口前の県道に出ると、同女が原動機付自転車に乗って近づいてくる姿が見えたので、同女を工場内に連れ込んで強いて姦淫しようと企て、工場出入口付近路上で同女を呼び止め、「手紙を頼みたいんだけど」などと、あたかも手紙の投函方を依頼するかのように話しかけ、手紙を取りに行くように装って東側工場二階に上がり、同所から県道で待っている同女に対し、「手紙の宛先を書くで、こっちへ入っとってくれんかね」と手まねきしながら声をかけて同女を工場敷地内におびき寄せ、工場東側の清水沈殿槽タンク北側あたりで待っていた同女に、ありあわせの紙片を持って近づいたところ、不審に気付いた同女が急に逃げ出したのでこれを追いかけ、同工場裏手の休憩室前付近の空地で同女をつかまえ、抱えて右休憩室内に連れ込み、同所で叫び声をあげ逃げようとする同女をえり首のあたりをつかんで仰向けに引き倒し、両手をつかんで押さえつけるなどし、その反抗を抑圧して強いて同女を姦淫し
第二 右姦淫後、同所で、同女から「警察に言う。こんな悪い人は絶対に言ってやる」などと言われたので、右犯行の発覚を免れるために同女を殺害しようと決意し、立ち上がった同女をその場に押し倒して馬乗りになり、両手で同女の頸部を強く絞扼し、よって、その場で同女を窒息により死亡させて殺害し
第三 右各犯行の発覚を防ぐため、直ちに同女の死体を右工場裏手山林内に運び、窪みに埋没していったん隠匿し、同年一二月五日ころの夕刻、同所から同死体を掘り出し、同僚の運転するワゴン車の後部に積載した紙袋の下に隠し運搬して、瀬戸市東拝戸町五六番地所在の東海サンド株式会社の本社工場内の黒鉛空袋置場に運び入れ、翌六日ころの早朝、同本社工場の裏山において、同工場備品ののこぎりがま及び牛刀を用いて同死体の両下肢の膝部、両腕の付け根部、腹部、頸部、陰部等を順次切断し、これらを数個のビニール袋に入れて右黒鉛空袋置場に一時隠匿し、同月八日ころの朝同工場の裏を流れる拝戸川の川底に、右死体の両下肢、両腕、胸部、両上腿のついた腰部を三個のビニール袋に分けて入れたまま埋没し、もって死体を損壊、遺棄したものである。
(証拠の標目)《省略》
(累犯前科)
被告人は、(1)昭和四八年二月八日岐阜地方裁判所で強姦致傷、窃盗罪により懲役三年六月に処せられ、昭和五二年二月二七日右刑の執行を受け終わり、(2)右刑の仮出獄中に犯した窃盗罪により昭和五一年六月二五日名古屋地方裁判所で懲役八月に処せられ、昭和五二年一〇月七日右刑の執行を受け終わったものであって、右各事実は《証拠省略》によってこれを認める。
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為は刑法一七七条前段に、判示第二の所為は同法一九九条に、判示第三の死体を損壊した所為及びこれを遺棄した所為は包括して同法一九〇条に各該当するが、右第二の罪につき、後記量刑の事情にかんがみ所定刑中無期懲役刑を選択し、被告人には前記の累犯前科があるので、右第一、第三の各罪につき同法五六条一項、五七条により(第一の罪については同法一四条の制限内で)それぞれ再犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるが、前述のように右第二の罪につき無期懲役刑を選択したから同法四六条二項本文により他の刑を科さず、被告人を無期懲役に処し、原審における未決勾留日数はこれを本刑に算入しないこととし、原審及び当審における訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。
(量刑の事情)
本件は、小原村の谷あいにある砂工場で一人作業していた被告人が、工場前の県道を通りかかった通学途上の高校生A子を呼び止めて工場内におびき寄せ、だまされたと知って逃げる同女をつかまえて暴力で休憩室に連れ込み、大声をあげ激しく抵抗する同女を強い体力を用いて押えつけて姦淫し、右犯行の発覚することを防ぐためその場で同女を絞め殺し、更にその犯跡を隠蔽するために同女の死体を切断解体し、陰部を切り取り、ばらばらの死体を川底に埋没したという残忍非道、極めて凶悪な犯行である。
被害者は県立高校二学年に在学中の成績優秀で性格も明朗快活、責任感が強く、親族友人知人から信頼され愛されていた清純で真面目な一七歳の少女であった。この少女を被告人によって全く何の理由もなく欲望の餌食にされたあげく殺害され、そのうえ無残な姿にされてしまった両親、姉、弟や親族の悲嘆と無念さは察するに余りあり、被告人が死刑にされてもあきたらないとする遺族らの気持は当然のことである。本件犯行が地域社会に与えた衝撃も甚大であった。
被告人は、成人となった昭和三〇年から窃盗を繰り返し、昭和三一年から三八年までの間に四回懲役刑に処せられたほか、判示累犯となる前科があり、その最後の刑を終わって出所後二か月も経ないで本件犯行を犯すに至ったもので、社会不適応性がうかがわれるのであるが、とりわけ見逃がすことができないのは、被告人が昭和四七年八月三〇日にも多治見市で強姦致傷、窃盗の罪を犯して昭和四八年二月八日懲役三年六月に処せられており、その犯行の態様も、山道を歩いていた一六歳の女子高校生を姦淫しようとして路上に押し倒し、その頸部を手で絞めつけ、頭部を路上に打ち付けるなどしたもので、本件と類似していることである。しかも、右事件の際仮死状態に陥った右高校生が後で蘇生したという経験から、本件では被害者が蘇生しないよう殺害の完璧を期するなど、犯行が一層悪質化しており、これらのことから被告人の性格の危険性がうかがわれるのである。
そして被告人は、本件捜査中には一応反省悔悟の情を示し、次第に犯行の真相を自白するに至ったのであるが、原審及び当審公判廷においては一転して犯行の大部分を否認し、虚構の弁解に終始して、刑責を免れようと腐心しており、到底改悛の情があるとは認められない。
しかしながら、果たして検察官の主張するように本件犯行が全く情状酌量の余地のないものであるかどうかについては、なお検討する必要がある。
確かに、本件強姦の犯行には計画性がみられ、これを全くの偶発的犯行ということはできない。被告人は小原工場で働くようになってから、原動機付自転車に乗って登校する被害者の姿を二回位見かけており、同女に関心を抱き、いずれは同女を姦淫したいと考えていたことが認められる。一一月二六日の朝には別の女子高校生を呼び止めて話しかけたのであるが、その経験から被害者もうまく呼び止められると考えるに至った。被告人が毎朝県道端でたき火をしていたことからも、被告人の下心がうかがわれる。しかし、本件一一月三〇日の朝強姦を決行しようと被害者を待ち構えていたとまでは認められない。たまたま被害者を見かけ、呼んでみたらうまく止まってくれたのがきっかけとなった。手紙の投函依頼という口実も出まかせであって、手紙らしいものを準備していたわけではない。被害者が親切にこれに応じようとしたことが被告人に強姦の機会をもたらした。綿密な計画に基づいてしたこととは思われない。
結局被告人は欲望の赴くまま暴力を用いて強姦の目的を遂げたのであるが、被告人は、女の子は一回姦淫してしまえば世間体を恥じて警察に届けることはあるまいという安易な考えでいたところ、案に相違して気丈な被害者がよろよろしながらなおも「こんな悪い人は警察に言う」と言ったので、警察に届けられれば刑務所に行かなければならないと考えて殺害を決意し、即時同女を絞め殺してしまった。その際念頭にあったのは、ただ自己が強姦の刑責を免れたいということと、かねて妻から今度刑務所に入ることがあれば子供と一緒に自殺すると言われていたことだけであって、被害者の生命を奪うことの重大性などには全く思い及ばなかったとさえ思われる。また、冷静に考えてみれば、午前九時ごろになれば同僚二名が工場に到着する予定になっていたことでもあり、殺人の所為が発覚しないで済むとも考えられないし、殺人罪を犯せばその刑は強姦罪だけの場合とは比較にならないほど重くなることに気付くはずであるのに、そういう冷静さにも欠けていた。このような短絡的、自己中心的思考に基づいて、人の生命など全く眼中にないかのように即座に人を殺している被告人の行動様式に、その性格の欠陥と危険性が現われており、その点からもこの殺人が極めて凶悪な犯罪であることは明らかである。しかしながら、道義的責任の観念からすると、その犯情は、利欲のため、当初から完全犯罪を期して計画遂行された殺人の犯行と比較すれば、なお一線を画するものがあるというべきである。
次に死体損壊、遺棄の所為は、いうまでもなく冷酷非情な犯行であり、かつ、本件が人に戦慄を覚えさせ、これに猟奇的な様相を与えている点であり、また、被告人がひそかに死体を運搬、解体、隠匿しつつ何食わぬ顔をして勤務を続けていたという狡猾な面も見いだされるのであるが、つきつめてみれば、被告人が被害者の死体の始末に窮し、何とかして犯行の発覚を免れたいとの一念から次々に犯した愚かな犯行にほかならないと言える。以上のように、本件各犯行の情状をつぶさに観察すると、酌量の余地が全くないとは言いきれないのである。
被告人は樺太豊原町で同胞一〇人中の第七子として出生し、敗戦後一家が北海道に引き揚げ、貧しく厳しい生活の中で幼児期、少年期を過ごしたもので、その人格形成期に道徳的情操が十分養われなかったと考えられる。また、平素の社会生活においては、雇主や同僚も驚くほど仕事に精励し、家庭でも妻子を大切にして慕われていたという一面もあり、これらの情状も全く考慮の外におくことはできない。
本件において被告人に死刑を科すべきであるという検察官の意見はもとより傾聴に値するものであって、当裁判所はこの点につき慎重に考慮を巡らしたのであるが、死刑を言い渡すについては慎重のうえにも慎重でなければならないという見地に立ち、近年のわが国における量刑の実状をも考慮に入れて検討した結果、右のようにわずかながらも情状酌量の余地なしとしない本件においては、死一等を減じて被告人に無期懲役刑を科し、被告人をして生命の尊厳を真に自覚させ、終生被害者の冥福を祈りつつ贖罪の道を歩ませて、その矯正改善と、併せて犯罪の抑制効果とを期待するのが相当であるという結論に達した。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小野慶二 裁判官 河合長志 鈴木之夫)